【ペットを育てるイメージで】「自分の無能さ」によって萎縮してしまう時の対処法
みなさんお疲れ様です。Kosukeです。
この記事を見てくださっている方は、おそらく自分の無能さのせいで萎縮してしまうタイプだと思います。かく言う私もその1人です。仕事や卒論、趣味の卓球など、何をするにも萎縮してしまう人間です。
しかし、面接や相談、スポーツなどにおいては、「より上の人との対話」が成長に欠かせないんですよね。
そんなわけで今回は、
「自分の無能さによって萎縮してしまう時の対処法」を書いていこうと思います。
ポイントは、「自分自身と恐怖の対象を切り離すこと」です!
我々はいったい何を怖がっているのか
「分からないから聞く」、「強くなりたいから戦う」。自分が成長するためには、こういった格上との対話が必要だと感じる瞬間があります。何も感じずただ実行できれば良いのですが、私の場合はそうもいきませんでした。
というのも、
①相手の時間や体力を奪ってしまう
②相手に失望されてしまう
③自分を責めてしまう
この3点を恐れていたためです。
今回の記事では、②への対処法をお伝えしたいと思います。
全然ワクワクしない
ドラゴンボールに登場する主人公、孫悟空は相手が強ければ強いほど「オラわくわくしてきたぞ!」などと言いますが、私はわくわくなんてしませんでした。
「こいつダメだな」と思われることも怖かったし、「自分なんてダメダメだな」と思ってしまうことも怖かったのです。
萎縮の2パターン
実力が上の人に会うと萎縮してしまう私たちですが、何が原因なのでしょうか 。
A. 相手に失望されるのが怖い
例えば、あなたが仕事を全然進められずにいるとき、なんとか上司に相談する場面を想像してください。
あなた「これってどうやれば良いんですか…」
上司「(まだこんなこともやってなかったの?)」「(あっ…こんなことも分からないのか…)」「(これじゃあダメそうだな…)」
と思われてしまう、あるいは言われてしまう。
この場合は、自分への期待や可能性をダメにしてしまうことが怖いのだと思います。
つまり、
・自分がやらなければいけない(と感じる)ことをやっていない
・自分が持っているべき(だと感じる)実力を持っていない
といった、「自分が弱い」部分に原因があると言えます。
B. 自分に責められるのが怖い
次に、スポーツで自分よりも格上の選手と戦う場面を想像してください。
「(あの人はあんなに頑張ってるのに自分はダメダメじゃないか…)」
「(やっぱりダメだよな。。。自分じゃあ通用しないんだ…)」
と思ってしまう。
この場合は、自分の弱さを認める結果になってしまうのが怖いのだと思います。
つまり、
・相手が自分よりも練習しているため、負けてしまうかもしれない
・相手が自分よりも経験豊富で、馬鹿にされてしまうかもしれない
といった、「相手が強い」部分に原因があると言えます。
それでは、Aの「自分が弱い」部分に原因がある時、実際どのように対処していけば良いのでしょうか。
萎縮への対処法
まず初めにお伝えしたいのは、「別に萎縮しても良い」ということです。
というのも、面接であれ相談であれ、最も重要なのは「自分がいかにプレーするか」です。
緊張しながらも話しかけてみたり、イライラされるかもしれないけど聞いてみたりするといった「萎縮しながらも行動する」ことができれば、特に問題はありません。
実際に行動してみると、嫌われたり馬鹿にされたりすることはあると思います。しかし、それによって自分がどう評価されたとしても、それは相手の問題であり、自分は「行動する」という目標を遂行しているので、気にする必要はありません。
嫌われる勇気
・そもそも
相手に悪く思われているかどうかも実際には分かりません。100%真実でなければ、「嫌われているかも…」という感覚は妄想でしかないのです。
つまり、相手に対しては萎縮しても良く、自分に対しては自信を持って行動できることが大事なのです。
・しかし今回の場合は、
行動すれば良いのは分かってるけど「精神の恐怖が行動を萎縮させてしまう場合」の対処法を知りたいんですよね。分かってます。それでは、萎縮してしまう時の対処法を見ていきましょう。
「自分が弱い」場合
もしあなたが、やるべきことをやれていないといった「自分の弱さ」に恐怖の原因があるとすれば、作業という名のペットを育てるイメージを持つのが良いでしょう。
・進まない卒論
私は大学4年生の頃、卒業論文を執筆していたのですが、何かと上手く進めることができませんでした。問題は英語力か、作品への理解不足か、やる気の低下か、いろいろあったと思うのですが、とにかく進捗が著しくなかったのです。
毎回進みが悪いと教授に何か言われる。それが自分に向けられていると感じるのが辛く、どういった心持ちでいるべきか悩みました。
なぜなら、その辛さが論文の執筆をさらに妨げているような気がしたためです。
「ふむ、ではペットを育てるイメージで取り組むのはどうだろうか」
そして悩んだ結果、あることが理解できました。私にとっての目的は卒論を書き上げることで、教授にとっての目的は「卒論の執筆を監修すること」という事実です。つまり、私は精神面に気を取られず手を動かす必要があり、教授は別に私の人格を叩く意図はないということです。
そこで私は考えました。
「ふむ、では共にペットを育てるイメージで取り組むのはどうだろうか」
というのも、
・自分の人格と作品の進捗を分けて考える
・教授は私の萎縮ではなく執筆を求めている
といった本質的な要件を満たせると思ったためです。
上記の画像で例えてみると、作品(ペット)という育てるべき対象と自分の人格を切り離して、精神ではなく「ペットを育てる」作業にフォーカスさせたということです。
実際には、以下のように接していました。
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【まだ進んでいないことの報告や、今後の方針について尋ねる時】
①
想像上の教授「(あっ…こんなことも分からないのか…)」
私「(理解しにくい子だから)分かりにくいんですよね。」
→自分のせいではなく、その子が分かりにくいので、どうしたら良いかを尋ねてみる
②
想像上の教授「(まだこんなこともやってなかったの?)」
私「(この子が面倒な性格で)まだ手がつけられていないですね。」
→自分のせいではなく、その子が面倒な性格をしていることを伝える
この考え方であれば、
教授からの指導は自分への怒りではなく「ペットをより良く育てるためのアドバイス」と捉えることができます。
結果的に、人格と作品の進捗を分けて考えることができ、感情を抜きにして分からないことを聞けるようになります。
ペットを育てるという表現が不適切であれば、「知らない人の作品を、関係のない自分と他人で作り上げる」というイメージが良いかもしれません。
ある意味「自分だけで責任を感じすぎず、架空の第三者に責任をなすりつける」という部分がポイントとも言えます。
私の場合は、主語に自分を入れないなどして、「人格と作業を切り離して客観的に報告する」ことを意識しました。
このような流れでメンタルを調整しつつ、なかなか進まなかった執筆を確実に進めていきました。
結果的に、(ほぼ教授の力かもしれませんが、)なんとか締め切り前に卒業論文を書き上げることができたのです。
・デメリット(仕方ない…?)
この方法のデメリットを挙げるとすれば、「機械的」や「責任感がない」といった無愛想な印象を与える可能性があります。
ただ、自分の心を守りつつ、なすべきことを成すためには仕方がないとも思います。また、自分の感情や損得などを含めず、客観的に報告できることは強みにもなると思います。
まとめ
自分の弱さや進捗の遅さが萎縮の原因になっている時は、
できるだけ客観的に報告することで、作業と自分の人格を切り離してみましょう。
相手のイライラは、自分ではなくわんちゃんに向けられていると考えるのです。
「何か言われたらどうしよう…」という思考から、
「一緒にわんちゃんを育てていくためにはどうしたら良いか」という本来の目的を軸にした思考ができるようになります!
本日もお疲れ様でした!
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